ポイント
- 漫画家秋竜山のエッセイ集。
- 病弱の母は、どんなに悲しくても、その水圧で涙を流すことのできない深海魚のように、涙を流すことはなかった。
- この作品でも父親はほとんど語られないが、私自身の過去の思い出にも父はあまり登場しない。
- 私の娘は、父である私のことをどのように記憶してくれるだろうか。
深海魚の涙
漫画家秋竜山氏が母の思い出を綴ったエッセイ集である。
4コマ漫画と短い文書をセットにした作品だ。
秋竜山氏の母親は病弱だった。昼間もずっと布団に横たわることが多かった。
母の調子が悪いと学校を休んで、付き添ったという。
病弱であることは母の心に重くのしかかった。
しかし、深海魚がその水圧のために涙を流すことができないように、いくら悲しくても涙を流すことができなかった。
病弱であることは、今日も明日もずっと続くからである。
母親という存在
子育てをしていて感じることは、自分もかつてはこのように両親に育てられたんだろうな、ということだ。
そばにはいつも母がいた。
いつも母を目で追って、姿が見えないと泣きじゃくったことを記憶している。
母は絶対的な存在だ。
これまでは散々親不孝を続けてきたが、最後にはお返しをしたいと考えている。
悲しき父親
母親については懐かしい思い出が多いのに対して、父親については嫌なことしか覚えていない。
父親なんてそんなものかもしれません。
娘が大きくなった時、自分のことをどのように思い出してくれるだろうか。
いささか心もとないが、「おとうさん」と呼んでくれるならば、自分の人生には合格点があげられると考えている。
自分が死ぬ間際になった時、ベットの脇に付き添って手を握ってくれれば、100点満点だ。